東京高等裁判所 平成6年(行ケ)84号 判決 1996年12月18日
神奈川県厚木市長谷398番地
原告
株式会社半導体エネルギー研究所
代表者代表取締役
山崎舜平
訴訟代理人弁理士
加茂裕邦
東京都千代田区霞が関三丁目4番3号
被告
特許庁長官 荒井寿光
指定代理人
高橋武彦
同
舟田典秀
同
幸長保次郎
同
関口博
同
伊藤三男
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた判決
1 原告
特許庁が、平成4年審判第2212号事件について、平成6年3月10日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文と同旨。
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
訴外山崎舜平は、昭和55年6月25日に出願した特願昭55-86801号の一部を、昭和56年9月24日に分割し、発明の名称を「複写機」(後に「静電複写機の作製方法」と補正)とする発明(以下「本願発明」という。)として特許出願をした(特願昭56-151147号、以下「本願」という。)が、平成2年4月20日に同発明についての特許を受ける権利を原告に譲渡し、同年4月27日にその旨を被告に届け出た。
原告は、平成3年12月6日に拒絶査定を受けたので、平成4年2月19日、これに対する不服の審判の請求をした。
特許庁は、同請求を平成4年審判第2212号事件として審理したうえ、平成6年3月10日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年4月4日、原告に送達された。
2 本願発明の要旨
導電性基体と、導電性基体の上に形成された感光体と、該感光体の外側表面に正の静電荷を発生させる手段と、該感光体の外側表面に光を照射する手段と、該感光体の外側表面に粉体を供給する粉体供給手段と、該感光体の外側表面にある粉体を被複写体に転荷する粉体転荷手段と、該感光体の外側表面にある静電荷を除去する電荷除去手段とを有する静電複写機の作製方法において、前記感光体が(注、原文の「を」は「が」の誤記と認める。)、導電性基体側のホウ素またはインジュームが添加された層と前記外側表面をなす真性または実質的に真性の層とからなり、前記導電性基体を(注、原文の「が」は「を」の誤記と認める。)アルミニュームまたはその化合物で形成し、該導電性基体に前記感光体を形成する前にプラズマスパッタにより前記導電性基体の表面をクリーニングすることを特徴とする静電複写機の作製方法。
3 審決の理由
審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願は、明細書及び図面の記載が不備なため、拒絶理由に示したとおり、本願明細書の発明の詳細な説明には、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有するものが容易にその実施をすることができる程度に、その発明の構成が記載されていないものと認め、特許法第36条第3項(昭和62年法律第27号による改正前のもの、以下同じ。)に規定する要件を満たしていないので、拒絶をすべきものとした。
第3 原告主張の審決取消事由の要点
1 審決の理由中、審判手続における拒絶理由通知の記載及び本願明細書の発明の詳細な説明の記載の認定は認め、その余は争う。
2 本願発明は、前示本願発明の要旨に示す構成が一体となった静電複写機の作製方法であり、その特徴は、導電性基体の表面をプラズマスパッタによりクリーニングする点に存する。
本願明細書にプラズマスパッタの諸条件について詳細な記載がないとしても、当業者は容易にその諸条件を知り得たのであるから、審決が、この点につき、「本件出願は、明細書及び図面の記載が・・・不備のため、特許法第36条第3項に規定する要件を満たしていない。」(審決書2頁19行~3頁1行)、本願明細書の「発明の詳細な説明には、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有するものが容易にその実施をすることができる程度に、その発明の構成が記載されていない」(審決書3頁14~18行)と認定判断したことは、いずれも誤りである。
すなわち、プラズマスパッタに関する各種技術文献(甲第12~第26号証、以下「本件周知文献」という。)、特に、以下の(1)~(8)の特許公開公報や技術論文(甲第19~第26号証)によれば、本願原出願前、プラズマスパッタによるクリーニングについては、その条件を含めて当業者に周知であったことが明らかである。なお、被告は、導電性基体についてプラズマスパッタによりクリーニングすることは、上記周知文献には記載されていないと主張するが、一般的にプラズマスパッタによるクリーニングが周知の技術であれば、個々のクリーニングの対象物につきそれをどのような条件で行うかは、当業者であれば、容易に分かるものであるから、被告の上記主張は失当である。
(1) 特開昭55-1016号公報(昭和55年1月7日公開、甲第19号証)には、電子顕微鏡の電子銃において、ウエーネルトシリンダに付着するコンタミネーションを除去する電子銃のクリーニング方法が記載されている。
すなわち、同公報には、「電子銃の雰囲気を真空度10-2mmHgに保ちながらカソード1とウエーネルトシリンダとの間に、ウエーネルトシリンダ2が負になるように比較的低電圧の直流電圧(500~2000V)を電圧印加手段7により印加する」(同号証2頁左下欄13行~18行)という条件のもとに、ウエーネルトシリンダ内面に付着したコンタミネーションをスパッタクリーニングする方法が詳しく記載されている(同2頁左上欄9行~右上欄16行、左下欄13行~右下欄7行)。
(2) 特開昭53-30291号公報(甲第20号証)には、対陰極基板のスパッタクリーニングを行う第1の手段を有することを特徴とするX線対陰極及びその製造方法についての発明が記載されている。
すなわち、同公報には、「排気装置を駆動させ、真空容器3内を10-5Torr程度に排気する。その後、ガス導入バルブ4から、Ar、He、Ne等の雰囲気ガスを、8×10-3Torr程度の圧力まで導入して、高圧電源2から-4kVを対陰極基板1に印加」(同号証2頁左下欄18行~右上欄3行)させるという条件のもとに、グロー放電を誘起させて、対陰極基板のスパッタクリーニングを行う方法について詳しく記載されている(同2頁左上欄5行~右上欄14行、左下欄16行~右下欄19行、3頁左上欄8~18行)。
(3) 特開昭52-83084号公報(甲第21号証)には、半導体を被着形成させるイオンプレーティング法がスパッタクリーニング作用が存在する状態で行われることが示されており、スパッタクリーニングについて、その条件を含めて記載されている(同号証8頁右下欄の特許請求の範囲(1)、11頁右下欄6~13行、13頁右下欄16~20行、14頁右上欄19行~左下欄10行)。
(4) 特開昭52-75668号公報(甲第22号証)には、被メッキ物体をイオンプレーティングする前のスパッタクリーニング工程について、一定の条件を示して記載されている(同号証2頁6欄9行~3頁7欄16行)。
(5) 「Thin Solid Films」1976年所収の論文「A NEW SPUTTER CLEANING SYSTEM FOR METALLIC SUBSTRATES」(甲第23号証)には、金属基板のための新しいスパッタクリーニングシステムが記載され、金属表面処理に有利なPMDsスパッタクリーニングの方法について、その条件を含めて詳しく示されている(同号証331頁6~21行、334頁の表1)。
(6) 「J.Vac.Sci.Technol.」1976年1/2月号所収の論文「In situ investigation of substrate surface recontamination during glow-discharge sputter cleaning」(甲第24号証)には、グロー放電スパッタクリーニングにおいて基板表面に再汚染を生じさせないようにrfスパッタクリーニングをする方法についてその条件を含めて詳しく示されている(同号証170頁上段6~23行、右下欄12~16行、171頁左欄11~14行、173頁有欄7~10行)。
(7) 「IBM Techniacal Disclosure Bulletin」1976年12月号所収の「RF SPUTTER CLEAN/DIP ETCH CLEANING PROCESS FOR LOW VIA HOLE CONTACT RESISTANCE」の要約(甲第25号証)には、ビアホールコンタクトの低抵抗化のためのRFスパッタクリーン・ディップエッチングクリーニングにおいて、絶縁層間の接合抵抗を低減するためのスパッタクリーニング法の条件について詳しく示されている(同号証2473頁4~8行、15~23行)。
(8) 「Thin Solid Films」1974年所収の論文「ION MIGRATION EFFECTS IN R.F."SPUTTER CLEANING" OF DIELE CTRIC FILMS」(甲第26号証)には、誘電体フィルムのRFスパッタリングにおけるイオン移動の効果が記載され、サンプル間もしくは基板からサンプルへの不純物の移動をもたらすスパッタクリーニングの条件について詳しく示されている(同号証359頁1~8行、359頁本文7~16行)。
第4 被告の反論の要点
審決の認定判断は正当であって、原告主張の審決取消事由は理由がない。
1 本願発明のプラズマスパッタによるクリーニングは、静電複写機で使用される感光体をその上に有する導電性基体であるアルミニウム又はその化合物を対象とするものであり、表面の酸化アルミニウムに対して珪化物気体を被膜化する前に真空中でプラズマスパッタにてAr又はAr及びH2との混合気体により被膜の被形成面をクリーニングして酸化物又は汚物を除去するものである。したがって、静電複写機で使用される感光体をその上に有する導電性基体であるアルミニウム又はその化合物を、プラズマスパッタによりクリーニングすることを構成に欠くことのできない主要な事項としているのであり、プラズマスパッタによるクリーニングの諸条件(例えば、電力供給手段、供給電力量、真空圧の程度、Ar量、Ar及びH2との混合比、スパッタ時間と汚物又は酸化物の除去量との関係)について、明細書の発明の詳細な説明の欄に具体的に記載されていなければ、本願発明を当業者が容易に実施することができないものであるところ、本願明細書の発明の詳細な説明には、上記プラズマスパッタによるクリーニングの諸条件は記載されていない。
したがって、本願は、明細書及び図面の記載が不備なため、特許法36条3項に規定する要件を満たしていない旨の審決の判断に誤りはない。
2 本件周知文献(甲第12~第26号証)にスパッタリングについての記載があり、原告が摘示する(1)~(8)の特許公開公報や技術論文(甲第19~第26号証)に、原告主張のような記載があることは認める。
しかしながら、これらの文献は、静電複写機で使用される感光体をその上に有する導電性基体であるアルミニウム又はその化合物をクリーニングするものではなく、また、そのような事項を示唆するところもない。したがって、本願原出願前、プラズマスパッタによるクリーニングは、その処理条件等を含めて当業者に周知であったとの原告の主張は失当である。以下、原告が摘示する特許公開公報記載の発明について、個別的に反論する。
(1) 特開昭55-1016号公報(甲第19号証)記載の発明は、電子銃のクリーニング方法及びそのクリーニング装置に関するものであって、そのクリーニングの対象はウエーネルトシリンダである。
(2) 特開昭53-30291号公報(甲第20号証)記載の発明は、X線対陰極及びその製造方法に関するものであって、そのクリーニングの対象はX線対陰極である。
(3) 特開昭52-83084号公報(甲第21号証)記載の発明は、p-n接合形固体素子とその製造方法に関するものであって、そのクリーニングの対象はp-n接合形半導体被膜のうち、基板電極側半導体が被着される被着面である。
(4) 特開昭52-75668号公報(甲第22号証)記載の発明は、3極型イオンプレーティング方法に関するものであって、そのクリーニングの対象はイオンプレーテイングによりメッキを行う被メッキ物体である。
第5 証拠
本件記録中の書証目録の記載を引用する。書証の成立については、いずれも当事者間に争いがない。
第6 当裁判所の判断
1 本願発明が、静電複写機の作製方法において、導電性基体であるドラムの表面を、感光体である被膜を形成する前にプラズマスパッタによりクリーニングすることを特徴とするものであることは、当事者間に争いがなく、原告の摘示する本件周知文献(甲第19~第26号証)によれば、本願原出願前、汚物等の除去のためのプラズマスパッタによるクリーニング自体は周知のことであったと認められ、また、該導電性基体に感光体を形成する前にその表面上をクリーニングして酸化物や汚物を除去しておくことは、技術常識上当然のことと認められるから、結局、本願発明の特徴とするところは、アルミニウム又はその化合物で形成された複写機のドラムである該導電性基体の表面をクリーニングするためのプラズマスパッタが実施できる構成を備えた静電複写機の作製方法にあるとしなければならず、そうである以上、本願明細書において、当業者がこれを容易に実施をすることができる程度に、その諸条件を開示しなければならないことは当然というべきである。
ところが、本願明細書の発明の詳細な説明には、この点については、「このドラムの表面はアルミニユームまたはその化合物よりなり、表面の酸化アルミニユウムを珪化物気体を被膜化する前に真空中でプラズマスパツタにてArまたはArおよ及びH2との混合気体により被膜の被形成面をクリーニングして酸化物または汚物を除去した。」(甲第2号証明細書8頁19行~9頁5行)との記載が認められるだけであることは、審決認定のとおりであり(審決書4頁1~7行)、当該プラズマスパッタの諸条件、例えば、電力供給手段、供給電力量、真空圧の程度、Ar量、Ar及びH2の混合比、プラズマスパッタの継続時間などや、当該プラズマスパッタの具体的装置内容及び配置状況等については全く記載がないから、当業者が、本願明細書の上記記載に基づいて本願発明を容易に実施することは、困難といわなければならない。
この点について、原告は、本件周知文献(甲第12~第26号証)に基づいて、本願原出願前、プラズマスパッタによるクリーニングは、その条件を含めて当業者に周知であったと主張する。
しかしながら、本件周知文献のうち、原告主張の(1)~(8)の特許公開公報及び技術論文(甲第19~第26号)には、電子顕微鏡の電子銃、X線発生装置の陰極、半導体の基板などを対象として、これらの対象物のクリーニングにプラズマスパッタが用いられていたこと及びその実施条件が開示されているだけであり、また、その余の本件周知文献(甲第12~18号証)には、薄膜形成技術における各種のスパッタリングの中で、プラズマスパッタの原理及びそれを行う場合の一般的な実施条件の範囲等が開示されているだけであるから、本願発明のような比較的大型な機器の範疇に属する複写機で使用される円柱状のドラムであって、アルミニウム又はその化合物で形成された導電性基体をクリーニングすることについては開示されていないし、当該ドラムの表面をプラズマスパッタによりクリーニングする場合の具体的な実施条件や当該プラズマスパッタの具体的装置内容及び配置状況等を明示するものでもないことが認められる。したがって、当業者が本件周知文献を参照しても、本願発明の該導電性基体に対してプラズマスパッタによるクリーニングをする静電複写機を容易に作製できるものでないことは明らかであり、原告の上記主張は失当である。
そうすると、本願明細書の「発明の詳細な説明には、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有するものが容易にその実施をすることができる程度に、その発明の構成が記載されていない」(審決書3頁14~18行)との審決の認定は正当であって、「本件出願は、明細書及び図面の記載が・・・不備のため、特許法第36条第3項に規定する要件を満たしていない。」(審決書2頁19行~3頁1行)との審決の判断に誤りはない。
2 以上のとおり、原告の取消事由の主張は理由がなく、審決の認定判断は正当であって、他に審決を取り消すべき瑕疵はない。
よって、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 芝田俊文 裁判官 清水節)
平成4年審判第2212号
審決
神奈川県厚木市長谷398番地
請求人 株式会社 半導体エネルギー研究所
東京都港区西新橋2丁目15番17号 レインボービル8階 鴨田国隙特許事務所
代理人弁理士 鴨田朝雄
東京都港区西新橋3-5-1 橋場ビル2階 鴨田・西森国際特許事務所
代理人弁理士 西森浩司
昭和56年特許願第151147号「複写機」拒絶査定に対する審判事件(昭和57年7月30日出願公開、特開昭57-122445)について、次のとおり審決する。
結論
本件審判の請求は、成り立たない。
理由
Ⅰ. 手続の経緯等
本願は、昭和55年6月25日に出願した特願昭55-86801号の一部を昭和56年9月24日に分割して新たな特許出願としたものであって、平成4年3月17日付け手続補正書によって補正された明細書及び図面の記載からみて「静電複写機の作製方法」の発明に関するものである。(なお、本願明細書についての昭和59年6月25日付けの手続補正書は、平成3年4月26日付けの補正の却下の決定により却下され、また、本願明細書及び図面についての平成5年6月18日付けの手続補正書は、平成5年8月17日付けの補正の却下の決定により却下され、これらの決定は確定している。)
Ⅱ. 当審の拒絶理由
当審において、平成5年3月16日付けで次のとおりの拒絶の理由を通知した。
「本件出願は、明細書及び図面の記載が下記の点で不備のため、特許法第36条第3項に規定する要件を満たしていない。
記
本願発明の目的は、アルミニウムまたはその化合物で形成した導電性基体上に感光体を形成する前に、プラズマスパッタにより導電性基体の表面の汚物または酸化物を除去することであるものと認められる。
しかしながら、上記目的を達成するために行うプラズマスパッタの諸条件(たとえば、電力供給手段、供給電力量、真空圧の程度、Ar量、ArおよびH2の混合比、スパッタ時間と汚物または酸化物の除去量との関係)については、発明の詳細な説明欄に全く記載がない。
してみると、本願の明細書の発明の詳細な説明には、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有するものが容易にその実施をすることができる程度に、その発明の構成が記載されていないものと認める。」
Ⅲ. 当審の判断
本願明細書の発明の詳細な説明欄には、「このドラムの表面はアルミニュームまたはその化合物よりなり、表面の酸化アルミニュウムを珪化物気体を被膜化する前に真空中でプラズマスパッタにてArまたはArおよびH2との混合気体により被膜の被形成面をクリーニングして酸化物または汚物を除去した。」(本願明細書第8頁第19~第9頁第5行)の記載があるだけであるから、当審で不備として指摘したプラズマスパッタの諸条件は依然として不明である。
Ⅳ. むすび
したがって、本願は当審で通知した上記拒絶の理由によって拒絶をすべきものである。
よって、結論のとおり審決する。
平成6年3月10日
審判長 特許庁審判官 (略)
特許庁審判官 (略)
特許庁審判官 (略)